6/9/'06
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本部講師執筆の他誌掲載コラムより、民俗芸能なお話vol.21〜をピックアップしました!
本部 講師  関根勢津子
 アジア、アジアと書いてきて、ここ足もと日本はどうなってるのよ、と言われそうだが、実は平素はどっぷり“和”なのである。地元に伝承されてきた民俗芸能の奏楽を守り伝えてゆくボランティアを毎週末行なっている。この地元の芸能には、獅子舞、神楽などがあるが、その舞の伴奏曲にあたる篠笛や大小和太鼓の奏楽と各種祭り囃子など、90数曲を受け継ぎ、教えている。
 地元の獅子舞は、起原は鎌倉時代、現存する最古の獅子頭は桃山時代のものという歴史のある芸能で、県の無形民俗文化財に指定されている。獅子舞というと、お正月などで唐草模様の布をまとい二人が一頭の中に入ってやってくるものを想像される方が多いと思う。しかし、日本を西と東に分けると、民俗芸能的には、二人以上が入る獅子は“二人立ち”と言って西に多く分布。東の関東・東北方面には一人が獅子頭をかぶり腰に太鼓をつけ、それが三人(男獅子2匹、女獅子1匹)で舞う“一人立ち三匹獅子舞”が分布。私の地元のある埼玉県は “一人立ち三匹獅子舞”が200カ所以上集中している獅子舞大国だが、その大半の起原は江戸中期以降。わが地元の獅子舞が鎌倉時代というのは突出して古い。
 西の“二人立ちの獅子舞”は中国大陸の伎楽に由来する。推古天皇20年(612年)、聖徳太子のもとに百済からやってきた味摩之が伎楽を伝えたが、この伎楽の獅子舞が日本の西に分布する二人立ち獅子舞になったと言われる。それに対し、“一人立ち”は日本固有の獅子舞と言われている。わが地元の獅子舞は典型的な“一人立ち三匹獅子舞”だが、18ある獅子舞の演目の中に一つだけ、なんと、大陸系と言われる西の“二人立ち獅子舞”が含まれる。なぜ?!
 かつて地元は朝廷に和同開珎の和銅や馬を献上していた、とか、源平合戦で有名な畠山重忠の父・重能の墓がある寺で前述の桃山時代の獅子頭が発見された、など。さまざまな西との交流の事実が、いにしえの時代にこの狭い土地に生まれた芸能が、実は遠く大陸からの空気を取り込み、また遥か彼方を望みながら脈々と受け継がれて来た、広い世界観を持った芸能だったと、あれこれ憶測させる。獅子舞の中に出てくる歌の歌詞などには、遥か天竺も多数出てくる。宇宙的な不思議な歌詞、旅の歌詞なども多い。
 2004年夏、私は教えている奏楽の少年部・中高生13名を連れてドイツの世界体操祭(国際青少年の集い)に参加した。大半がヨーロッパの国々の20チームが集まり、アクロバティックなダンスや新体操や民俗舞踊などを発表しあう3日間。わが奏楽の少年たちは、開会式から演奏から、常にユニフォームである日本独特のハッピ、鉢巻、草履姿。ドイツの町で、遥かなアジアから来た少年達はかなり目立っていた! 彼らは優雅な神楽曲や哀愁ある獅子舞曲、わらべ唄、激しいビートとダイナミックなリズムの和太鼓が勇壮な屋台囃子など、数曲のプログラムを毎夜演奏して喝采を浴びた。この時少年たちは、どうやら自分たちだけに受け継がれた伝統を演奏できることに、誇らしさを感じたらしい。そして、国際交流の場で改めて伝統を守る活動の重要性を感じ、中には責任感すら強く感じて「自分も将来、後継者育成ができるようになりたい」と言ってくる少年も。
 ごく限られた狭い土地の芸能、実はそれだからこそ、独特の強い個性を放つ。民俗芸能とは、その土地の風土・生活など様々な条件が重なって生まれる唯一無二のものだが、けして排他的・閉鎖的な文化では無く、他の地域、他の文化圏の人々の感動を呼ぶこともできる。それを子供たちが実感してくれたことが何より嬉しい。 
#21「ハッピ姿でドイツ!〜民俗芸能、
その唯一無二の個性について」by 関根勢津子(05年2月掲載)
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コラム執筆者
研修会本部 講師/關根
私が97年から某社社内報のコラムに連載しているアジアのお話です。民俗芸能がらみのお話がここのところ続いたので、このサイトにも掲載してみました。





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