★用語,記譜法の転用,コピー,転載等一切厳禁
の必要性
關 根
幸 一
不肖私の書いた楽譜の隅には必ず表記の文字を記入いたしますが、その楽譜を所持される方は入念にこの扱いにご注意ください。
皆野には民俗芸能の楽曲が沢山あります。神楽曲約二十曲、獅子舞曲約七十五曲、そのほか秩父音頭、秩父囃子(皆野屋台囃子)等、その数は百曲にもなります。
神楽、獅子舞は舞いが大変大事ではありますが、舞いのもとになる伴奏曲をいつでもしっかりしておかねばなりません。何としても、これを将来に残さねばなりません。貴重な祖先の文化遺産を現在に射切る我々が絶やしてしまったら祖先に対して申しわけがたたない。ぜひとも皆さんのご理解とご協力を得て守っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
私は昭和二十二、三年の頃から採譜を始め一曲も残さず採譜を完了しました。特に獅子舞は戦争の影響もあってか、従事する人の次第に減少する状況を知ったとき、若しも今後出来なくなってしまったら、そしてまたいつか復活するとき最も困るのは楽であること先ず採譜をしておかねばと、こんな気持で採譜を始めたものでした。
最近の笛、太鼓の音を耳にするとき、旋律やリズムの崩れは遺憾に思います。聴き覚え、見よう見真似に習った人は特にそれが目立ちますが、そのような人の指導を受けたり、教えを乞うこと自体が原型をますます崩壊させることになります。我々が正しいものを正しく将来へ伝えようと懸命に努力している反面、原型崩壊の種が蒔かれているこわ見逃すわけにはゆきません。その防止対策として正当な継承者を養成もし、認定もし、正確に保存する体制を緊急に作らなければなりませんし、色々と難題があるものです。
正確に習ってもらうためには楽譜も必要です。楽譜を使用するためにはいろいろな諸記号、約束ごとを知ってもらわなければなりません。正しい読譜力が必要となります。もしも講習等を受けず正しい知識の無い人が楽譜を手にし、適当な判断にたよって楽譜を使用した場合、又そこに原型が崩壊する事態がおこります。正しい読譜が出来る者、つまり、我々の指導下にある教習者専用の楽譜、或は教習用テープ(録音)の扱い方に就いては配慮しなくてはなりません。
又、当地の郷土芸能を他所の者が習うこと、逆に他所の芸能を当地の者が習うことは、郷土芸能を郷土に正しく保存するためには堅く慎しまねばならないことと、我々は考えております。この意味からも楽譜の管理には注意を払う必要が生じます。
さらに近代芸能関係のプロが楽譜を入手した場合、洋楽風にアレンジして舞踊、或はミュージカルに使用、利益のもとでにすることさえあります。我々努力の結集が他所で売り物にされるつまらない話はありません。現に、秩父神社の神楽が劇中音楽に使用されているのをテレビ放送で見聴きしたことがあります。この神社の神楽はレコードになっております。神社には何の権限も無くレコード会社にすべての権利があり、知らぬ間に知らぬところで商売が行なわれたのではないかと気になりますが、真相はどうなのか、私の知る限りではありません。レコードにしてあげる、という言葉を素直に好意と受け入れて良いか、この辺も注意が必要ではないでしょうか。こうなると、演奏中、無断で録音されることの多い昨今、この辺にも問題があると考えられます。
たとえ練習中でも、仲間の間でも、私は原則として録音を禁じております。これは先述のレコードの話には関連なく、採譜の問題に関連したことで、原型保存の意味からです。テープによる耳からの教習は不正確なことが多いためです。
郷土芸能は楽譜を見ながら演奏するものではありません。楽譜は練習のためにあるものです。教習者が正しく習うために使用するものです。然し、講習中はなるべく楽譜を個人に配付しないようにしております。黒板に書いて説明したり、最低限度必要なものだけ配付するようにしております。或は書き取ってもらったりしています。書き間違えても講師が同席しているのですから、音にすれば間違えているのがすぐにわかり、訂正出来るので原型崩壊などの心配はいりません。
楽譜に基づいて学んでもらい、指導も行なっていますが、めいめいに楽譜を所持してもらうのは、楽譜がなくても演奏が出来る頃になってからです。その頃には楽譜も不要と思われるかもしれませんが、実際はこれかが必要なのです。現在出来ても人間は忘れることがあります。一つ二つの音がいつか知らぬ間に変っていることもあるでしょう。知らず知らず原型が崩れているものです。この時こそ、楽譜が必要になるわけです。習いおぼえた後は時々楽譜を見て自分の打ち方、吹き方を守らねばなりません。
原型を守るために私は楽譜に残しました。皆さんが習い易いために楽譜の見方も教えました。楽譜が正当継承者としての認定を受けた皆さんの奏法を永久に守ってくれるわけです。あなたに与えられた楽譜はあなただけのものです。他の誰にも必要の無いものです。
長々と書き並べてしまいましたが、私の考えていることがご理解いただけた方の手許には、奏楽の譜が価値ある文化財として大切に保管され、あなたご自身の正当継承者としての立派な座を生涯守り続けることを確信いたします。
以上にて本文表題についてその必要性の説明といたします。
昭和五十三年 五月 關
根 幸 一
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